西野カナのトリセツから思うこと

横浜アリーナ

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。もし大きな予定変更がなければ週末に西野カナのライブに行く予定です。そんなことからトリセツから、勝手に僕が想像することを書き留めてみました。

価値観の違い

そうですね、もし大きな予定変更がなければ始めての参戦となりますが、週末に西野カナのライブに行く予定です。購入した時はニュースになっておりませんでしたが、活動休止前のライブとなるようで、初めてなのにほんとのファンの方のノリに、ライブのノリについていけるのか不安におもっています。


その反面、その不安が楽しみになっているところもあります。ですので、最近は西野カナの歌ばかり聴いており、ライブの準備というのでしょうか、にわかファンとして心の準備を進めております。そんな感じですけど、その歌詞の中から感じたことを書き留めてみたいと思います。

そもそも西野カナの歌を聴く理由ですが、簡単に言うと、「心が潤う」が僕の答えです。シンプルでわかりやすい、別の言い方でいうと、仕事でサバサバしてしまった感情が、もとの自分に戻れるパワーがある歌、そんな感じなんです。あ、これは個人的な感想ですので、生意気いっています。汗。

わかりやすい

昔は僕の中でわかりやすい歌と言えば、ELTもそうですけど、もっと遡るとKANの「愛は勝つ」とか大事マンブラザーズの「それが大事」でした。でもね、「トリセツ」を聴いてわかったことがあるんです。それはこれまでの僕の中の価値観の変容でした。笑。

「愛は勝つ」は、当時としては画期的な内容で時代にそっていた印象をもっています。素晴らしい歌ですし、それは今も変わっていない。人に勇気を与えるあの歌詞にはパワーがあります。しかし、今、冷静に思うと、愛は「勝つ」ものなのかという疑問にぶち当たってしまいました。

勝ち負けは、判断がキッパリと分かれて、とてもわかりやいと思うんですけど、たぶん、これは当時の時代背景もあって、良い事と悪い事があって、特に良い事とされることが重要とされていた時代なのかもしれないと、個人的に思ってしまったんです。あ、ここら辺はキチンと精査する必要があるかもしれませんが。。

あいまいの美学

ここの視点に立ちますと、あ、これも勝手な思い込みなんですけどね、西野カナの「トリセツ」は、人の気持ちの曖昧性がとても綺麗に表現されている気がしているんです。なんというか、人の感情は、良い時もあればそうでない時もある、だからその時々で考えてね、という感じです。

とても大袈裟なんですが、この曖昧な感じが今の時代背景にピッタリなんだと思うんです。つまり、良いことも悪いことも、双方あって一つなんだと、それが人間なんだという部分です。人間だけではなくて色んなことに当てはまるかもしれませんけどね。

更に大袈裟に言うと、良い部分だけみるのではななくて、その他の全部を見る必要がある、そんな大きな視点で物事を考える必要があるんです、という感じです。笑。そう言った意味で「トリセツ」はわかりやすい歌なんだと思います。。

と、勝手なことを徒然と言ってきましたが、結局のところ、僕が西野カナをアーティストとして好きなんだと言うことを連呼しているようにも思います。お恥ずかしい限りです。まぁ、こんなことを考えると、本日という日が楽しくなりそうでしたので、書き留めてみました。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。天気予報では、雪が降るようなことも行っておりました。どうぞご自愛くださいね。

ではでは。本日もあなたにとって素敵な1日でありますように。

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