どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日、なんとなくオリラジ中田氏のANNを聴いて感じたことを書き留めています。
師という存在
まぁ、なんとなくですけどね、いつも通りANNを聴いておりまして、中田のあっちゃんが耳に聴こえてきました。どうやらキンコングの西野氏がゲストであるようで、とても発熱したトークが繰り広げられていた感じがします。
実は、僕はところどころしか聞けていなく、内容をそれほど覚えていません。ですので、その内容についての感想を言えることもなく、ただ、ところどころ聴いた上で感じたことがちょっとありましたので、そんなところを書き留めてみようと思います。
ザックリと全体的に感じたことは、あっちゃんの色んなことへの熱量を感じたこと、それとそれに対するキンコング西野氏の誠意のある語りが印象的なだったと、個人的に思います。まぁ、トークが盛り上がっていたし、あっちゃんの西野氏から教えをいただきたいといった姿勢が垣間見れたきがします。師への存在・敬意を感じました。大げさにいうと。
教えとは
先生と言われる存在は、この世の中に沢山いると思いますが、自分にとっての「師」を見つけるというか、出会うというか、この存在によって人生の流れが変わるような気がいたします。つまり、師による指南によって生きかたも変わるし、自分のあり方も大きく変わってしまうという点です。
誤解を恐れずに言いますと、「師」を作った方がいいと表現したいわけではなくて、「師」とはどんな存在なのか、そういったところに僕の考えを書きとめたい感じです。まぁね、ラジオからですけど、あっちゃんにとってキングコング西野氏は、ある意味「師」のような存在かのように聴こえたきた感じです。あ、これ、個人的な意見です。。
あるいは、困った時に何かを指し示してくれる、そんな存在は有難いものだと思います。自分を見失ってしまった時に、ベストかあるいはベターな助言をしてくれる存在は大きいからです。だから、たぶん、何方を「師」として仰ぐかによって人生や生き方までも変わってしまうのだろうと、感じます。誰についていくかの判断は慎重にという感じかもしれません。
深める
よく見聞きすることで、教えに対して忠実に守り、応用し独り立ちする考え方。「守破離(しゅはり)」でしたでしょうか。こんな感じがいいのかなぁ、なんて想像したりします。「師」の教えを忠実に守っても、結局、自分が出てしまうわけですから、自分の個性を織り交ぜる感じがいいのかもしれません。
僕的な考えですけどね、理解したら自分の一部になるように深める必要があると思っています。それほど深くはないですけど、自分としての「悟り」みたいなものを作っておかないと、考えを再構築するにも基盤がないと色々と不便かもしれないと思います。
1人でも生きれらますが、できることならば、楽しく生きたいし毎日を過ごしてみたいと思います。そんな中で「師」の存在は大きいかもしれません。お金の「師」や生き方の「師」などそれぞれあるかもしれませんが、なんだかんだで「先人の教え」は大きいと思います。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。なんとなくですけどね、徒然と書いてしまいました。
ではでは。本日もあたなにとって素敵な1日でありますように。