どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日ですが、笑福亭鶴瓶落語会をみてきまして、落語って深いなぁという極めて簡単な感想をもちまして。そこんところを書き留めています。
落語は素晴らしい
仕事がですね。何とか無事に終わることができまきして、赤坂ACTシアターに間に合いました。もっと、正確に言うと、開演には間に合わなかったのですが、演目までには間に合った、というところでしょうか。開演5分ほど遅れて席に座ることができました。もう、会場は満員でしたよ。笑。
笑福亭鶴瓶という人はいったいどんな人物なのか。どうも引き込まれてしまいます。不思議ですよね。噺家という、いや、普通のそこらへんにいるオッサンなのかもしれません。釣られていないのに、結果的に心まで持っていかれてしまう、そんな人物のようです。だからこそ、噺家なのかも。
落語というか、どこかで聞いたことがある噺でもそれを発する人物によって内容はこれほどまで変わることができるのか、そんな瞬間もあるようです。たぶん、それは噺家のオーラみたいなものが何か変化を与えているのかしれないですね。単なるおっさんが喋っているだけなのに、普通以上に面白い。笑。
古き良きもの
たぶんこの世の中に無くしてはならないもの、そんなものがあるとしたら、数えきれないほどあると思います。ただ、そんな中でも本当に大事なものは残っていくんじゃないか、そんな希望もあります。もし、縄文語が大事であったら現代ものこっているでしょうに、だけど、それを流暢とはいかないまでも不明なのは変化の結果だと思います。
落語は、古き良いもの。そんな風に思います。なくしてはいけないのかもしれないと、明確な理由が僕には導きだせないかもしれないけど、何か直感的に思います。最近の風潮で、なんでもかんでも理由が求めれますが、理由なきそれがあったもいい、だから、何か大切そうだから残っていて欲しい、そのように願います。
ただ、自分が残していくのか?と言われれば、そうでもなく、ただ落語の面白さを求めてこれからも何かしら携わっていきたいなぁ、と適当に思うのです。例えば、今回のように何かのイベントに参加するとか、それこそ新宿の広末亭にいくとか、浅草にいくとか、です。面白いから観に行く、その気持ちをもっていたいと思うんです。笑。
何を学ぶべきか
落語から学ぶこと、あえて、それを語るのであれば、人間の「素」みたいなものを学ぶべきなんじゃないかと個人的に思うのです。例えば、人情とか愛情とか、やさしさとか、形にないものかと思っています。もしかしたら、日本人の本質的な何かが、そこにあるのかもしれない。かも。なんて。
そもそも一つのお噺から学ぶことなんて限れれているかもですね。笑。聞き手の理解の深さやこれまでの経験から意味合いが変わってくるかと思うし、たぶん、同じお噺でも体調や年齢で、しかも噺家次第で影響度がわかってくるとおもいますから、その瞬間で味わい方も変化しますから。あ、これは個人的に適当にいっていますよ。
ただ僕は落語から先人の考え方や日本人としての大切なものを見出していきたい、またそうできればいいなぁと雲を掴むようなことを考えています。噺家がしゃべり始めるあの瞬間、一瞬で心をひきこまれてしまう、直感的にしか受け取ることができない、大切なものに、これからも出会っていきたいと思っています。てへ。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。金曜日ですね。やっとここまで来ました。1週間お疲れ様でした。笑。
ではでは。本日も素晴らしい1日をお過ごしくださいね。