どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日ですが、NHKのクローズアップ現代で、24時間コンビニ営業の特集をやっておりましてね、その感想を書き留めています。
24時間営業
24時間営業って当たり前だと思っていましたけどね、昨日のクローズアップ現代の特集をみて、本音でいいますと、もう24時間の営業は必要ないのではないかと思ってしまいました。ただ、すべてではなくても24時間営業でないコンビニもあってもいいと、そんな風にも思ったんです。
どっちかっていうと、コンビニは24時間営業であってほしいと考えますけどね、その24時間が人の限界的な労働で成り立っているのであれば、そこに「幸せ」みたいなものがあるのだろうか?そんなことを思います。仮に、AIだとかで無人のコンビニが普及するのであれば考えは別です。
ただ、24時間営業を希望するコンビニのオーナーもいらっしゃると思いますので、一概に決めつけることはできないと思います。そうしたことを踏めて、全部が全部24時間営業をしなければという枠組みは必要ないのではと、考えずにはいられないなぁとの印象を持ちました。
仕事の幸せ
まぁ、僕のようなど素人のコンビニヘビーユーザーがどうのこうのと言う立場ではありませんが、あの特集をみている限り思いつくこととしては、24時間としてコンビニを営業し続けることは限界にきている、もしくは戦略的に誤った方向に進んでいると考えてしまうのです。
そうした時に考えますと、仕事をしていて幸せとは何か?という部分を考えたりします。仮に、仕事をして幸せを得られると仮定すると、あのような肉体的限界のオーナーさんにとっては仕事は苦痛でしかないように思えてならないです。
あ、これも本当に勝手なことを言っていますね、あの特集が全てではない、そういう部分も考えなくてはと思います。改めて身勝手な自分がいますし、24時間営業のコンビニのあり方については、色々な考えがあると思いますので、僕の意見は、ひとつのたんなる一意見としてご理解頂ければと思います。
うねりの中で
外国人労働者の方についても低賃金や肉体的な単純労働などと色々な声もあがっているようですので、それとあいまって、辛い仕事を外国の方に押し付けるみたいなイメージがどうしてもついてしまっているのだろうと想像しています。だから、コンビニに限らず働くということについて、深く考えなければいけない時代に入っているのだと、流石に鈍い僕でも、そのように気がついた感じがします。
人ごとのように考えるのではなくて、自分に置き換えてみるとわかりやすいのかなぁ。僕の職場でも「働き方改革」があって、「これまで」とは考えられないことが始まっている感じです。そして、人の豊かさってなんだろうって、考える瞬間でもあります。
ただ、あまりにも大きなうねりの中にいるようで、自分自身が出来ることは少ないかもしれない、そんな風にも捉えています。同時に、主体性みたいな自分の考え方も求められていて、とてつもなく高い波が気がつかないうちに襲いかかってきた、そんな印象もあります。
こうした時はどうしたものか、そんな感じもするのですが、まずは何が正しいのか、そうでないのか、自分の基準みたいなものを作ることができればと、少し出遅れてしまった感もありますが、そのように思っています。
あの特集をみたことは、自分の中で、小さな一歩だったのかもしれなません。そんな感想です。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。桜が散り始めていますね。いまの時間を大切に過ごそうと思います。
ではでは。本日もあたなにとって素敵な1日でありますように。