どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。年を明けまして色々なことを考えてみまして、自分のやりたいことを今一度冷静に見つめてみました。
やりたいこと
生活していると、いや正確言うと、生きていると「やってみたいこと」に出会うと思います。この「やってみたいこと」と実際に「やってみた」こととは雲泥の差があると思いますが、できれば全部やってみたいと僕は思う人なんです。ただ、やっぱりどうしても時間とかお金とか制限があったりすると、躊躇してしまいます。これは僕の弱さなのかもしれないなぁと考えることがあります。
やりたいことは全部やってみたい。たぶん、これは僕だけじゃないかもしれませんが、限界があるということを冷静に受け止める必要もあると感じています。そして、仮に全部やってみたところで、その次の目的みたいなものがあればよいのですが、自分のたんなる欲望だったりすると、やりたいことはやってみたけど、その次になりをやるのか?そんなことも考えてしまいます。
どうせやるのであれば、何か自分にとっても第三者にとってもハッピーな結果を残したいと僕は思っています。これって、たぶん、傲慢な考えかもしれないなぁと反省してしまうことかもしれません。こういうことを薄っぺらくそして何となく考えて、ざっくりとまとめると、やることには優先順位をつけた方がいいのだろう、という結論に達するわけで、たぶん、これは普通に考えれば、そういた結論になるのだろうと思うのです。
むいていること
やりたいことの中でそれはどう考えても無理だろうと思われることもあります。自分がやりたいと思っても、現実にはそれは無理だろうと思うことの方が多いかのしれません。基本的に向いていない。これは最初に見極めておくもっとも重大なことのように思います。しかしながら、どうしてもやりたいことは得てして向いていないくてもやってみたいと思うものだと感じます。これは願望といういうか、僕の中の自分勝手さというか、挑戦してみたい部分なのかもしれません。
この挑戦してみたい。この気持ちは自由意思かと考えていますが、これは恐らく僕の性分かもしれません。どうしても無理だけど、もしかしたら無理でないかもしれないという、無理と無理じゃないその部妙な部分、白と黒と部妙に交わる部分みたいな、夕暮れの昼間と夜の境界線みたいな、そんな部分を感じてしまうと挑戦してみたくなるんです。これは、まさに僕の性分だろうと思うのです。
どうして人間は限界に挑戦するんだろう、その答えがここにあると僕は思うのです。大袈裟に言うと、僕が進化するために限界に挑戦する、そんなこともかもしれません。どうか僕に勇気をください。そんな臭いセリフも意図も簡単にいってしまう、そんな瞬間がそこにあるように思います。もしかしたら、濃厚に生きていくヒントみたなものがそこにあったりするのかもしれません。ただ、本当のところはそんなものはないかもしれませんが。。。
どうしますか
これまでの僕の人生の中で、やってみたいと思ったことの成功率と失敗率を比較するとだいたい半分ぐらいだと思います。そこに他人の意思が入っていたりするとその失敗率はたくなりますが、自分だけの取り組みに限るとかなり成功率は高いと分析しています。あぁ、自分の気持ちに正直になるということはとても勇気がいるものなんだと、いまさらながらに気が付いたりしますね。
やりたいことをやり続けると沢山の犠牲が伴ったりします。時間であるとかお金であるとか、或いは、もっと大事なことなのかもしれません。また、自分が晩年になって、やりたいことをやらなかったことに対しての後悔があるかもしれません。どうやらこのあたりは堂々めぐりになりそうですね。笑。
やりたいことができたらどうしますか?たぶん、この気持ちがでてきたら、正直にやってみるのが正解だと考え始めています。もうね、自分に嘘はつけない部分かと思います。それに後悔するぐらいだったら何かに挑戦してみた方が、もしかしてスリリングな人生を過ごせるのかもしれない、だろうと思うからです。何事もやってみて後悔した方が、後悔の度合いが浅いのかもしれない、いまのところこんな僕の中の結論です。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。いつもどおり自分勝手な文章となってしまいました。ほんとうにここまでお読みいただいた方には感謝しかありません。ありがとうございます。
ではでは。本日も良い1日をお過ごしくださいね。