どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日なんですけどね、大学の後輩がイタリアンのお店を開店しまして、ちょっとお祝い?を兼ねてご飯を食べてきました。そんなところを書き留めています。
美味しかった
僕は色々なことを小難しくする傾向があるので、なかなかうまく物事を伝えることができないかもしれない。殊に料理の味を文章で伝えることほど難しいことはないかもしれない。だけど、そんな僕が、本当に簡単に味を表現するのであれば、felice450 のチーズは美味しかったし、お肉も、パスタも満足するものでした。そんな感じです。えぇ。
たぶん、料理の作り方というマニュアルがあれば誰でも同じ味を出せたりするのか、そんなことを想像すると、同じ味は出せないと感じています。理由としては、なんとなくという感じあるけど、人の愛情とかこだわりとか料理に対する情熱であったり、「気持ち」が入ることによって「味」は変化すると、僕は考えているんです。
そうすると、近代的な回転寿司の様にロボットで作成した料理は、美味しくないのかという疑問もでるけど、ある意味、ロボットに感情が宿るのかそうでないのかという判断もできないので、この疑問は愚問になるかなぁと、そんなことも想像します。ただ、料理人の方にとって一つ一つの完成物は作品であって、ある意味アーティストとしての作品とも似ていると思うんです。
人柄なんだ
そして、お客さんとして座っていて、何気なく目の前に置かれた料理であっても、一生懸命作られた作品であるいじょう、それは美味しいと思う。そんな想像をしています。昨日いただいた料理もそんな感じでした。たぶん、色々な思いがあって、こだわりがあって、一生懸命に作った結果が、その味に出ていたと思います。最高に美味しかった。笑。
ただ、こう言うことを書き留めますと、普段の食生活に支障をきたす感じもするんです。つまり、どんな料理でも、いただくというか食べる方にとっては、気楽に食べることができない、そんなところです。そこまで考える必要はないかもしれないけど、食べるときは、深く考えずに、そう、単純に目の前にある「ご馳走」を食べることが必須だと思います。えぇ。
料理に、その料理人の思いとか情熱みたいなものが、入魂みたいな、そんなことがあるとれば、作る人によって味が変わるだろうし、大切にいただく必要があるだろうと、こんな印象を、昨日、帰りの電車の中で考えていましてね、まぁ、こんなことを考えてただけでも有意義な食事だったとおもいます。また、なにかの機会に再訪しようかなぁとも考えています。
Oneness
先日から、僕のブームみたいなもの、良い作品?すばら良い出来事にであったら、僕の出来ることはどんなことかを考えて、それなりに実践をしています。そんなところで、昨日のように美味しい料理にであったら、僕に出来ることは何かを少し考えてみた。2分ぐらいかなぁ。
まぁ、出てきた「出来ること」としては、みんなに美味しい料理を食べた、この事実を伝えることが、まぁ、手っ取り早く出来ることかなぁと、いまのところの結論です。ちょっと贅沢な時間、ちょっと普段食べれない新鮮な食材で、美味しくいただく。オススメのお店ですよって、伝えること。
お笑いの渡部さんが言っていたけど、 残りの人生で食事の回数をカウントすると、一つ一つの食事が大切になると言っていたっけなぁ。全部が内容の濃い食事にはできないかもしれないけど、たまには良い時間を演出してくれる、そんなお店を増やして行こうと思います。felice450 は、僕の中でそんなお店の一つになったと思います。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。今年のGW最終日となりました。もっと休みたいそんな気持ちで一杯です。
ではでは。本日もあなたにとってステキな1日でありますように。