どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。電車の中のマナーってあると思いますが、自分を棚に上げて色々と考えてみました。
自分を棚にあげる
公共のルールとか、当たり前のことを正義の剣を高らかに上げて主張することは、いい時もあって悪い時もあると感じています。たぶん、主張するときは、自分が間違っていないと考え意見を述べるわけですから、自分は正義なんだと思うんです。ただ、正義の意味や理解は人によりけりという考えもあるし。。
個人的な考えなんですけんどね、この正義的な考え、自分は正しいんだって思うことはとても危険な感じがしています。だから、自分が正義って感じることがあれば、ちょっと冷静に自分が本当に間違っていないのか?、そんなところの自分チェクが必要だと考えています。
でも、自分を冷静に見ることなんて、そう簡単なことではないでしょうから、ここは訓練とかある程度の修行?みたいなことが必要なのかもしれません。僕は感情的に流されてしまう傾向があるので、そういった自分のわだかまりを気をつけています。いや、気をつけようとしています。
ルールはある
誰にも迷惑をかけていないから自分の好きなようにしていいじゃないか、ずっと前ですけどね、こんなことを高校生ぐらいの人に言われた気がします。そして、そのときはきちんとした回答を答えられずにいたんですね。そんなことをたまに思い返します。
今、僕が色々な経験をしてこの「問い」に答えるとしたら、イメージしまして例えばこんな感じになります。
「自分の好きなこと」これを好きなように気を止めることなく、実行することはとても素晴らしいことだけど、まずその前に「他人に迷惑をかけない」それが前提にある、これは今と昔も変わっていないと考えています。
ただ、それを他人が見てどんな風に影響するのかを考える必要があると思うのです。例えば、自分が父親になった時に自分の息子にそれを堂々と説明し、進めることができるのか云々とか。或いは、それの姿を見て真似すること人が出てきたとして、誰かが幸せになるのだろうか云々とか。です。
いま僕が考えているのは、ここまでです。もう少し歳を重ねると違って結論が出ると思います。
いずれトントン
田舎の電車にのって、高校生らしい男子が二人。ボックスタイプの座席に座り、足を伸ばし、土足でもう一方の座席に掛けている。今時の幼稚園生だって、座席に乗るときは靴を脱いでいるのに。だけど、僕が高校生だったらたぶん同じことをしたかもしれない。そんな気持ちもありつつ、僕は、めんどくさくなって注意はしなかったんです。
電車が進み、満員近くなって、大人がその座席に座ろうとする。高校生たちは足を伸ばすのをやめて姿勢を変えて、大人を座らせた。いや、大人が足をどかせと雰囲気を出して、どかせたが正解なのかもしれない。これは、陳腐な例かもしれないけど、世の中は強い者が勝つという、資本主義の当たり前の出来事だと思うんです。高校生は、いや、ある意味、僕は学びが必要なのかもです。
こんな出来事を目の前で見ていましてね、これも違った物の捉え方かもしれませんが、世の中のながれに即合わないものがあれ、物事は自然と角が丸くなるように整えられていく、そんな印象を持ちました。広義的な自助能力でしょうか。ただ、この自然的な効力も限界があるものと個人的に思っています。
そして、大袈裟な事を言えば、次の世代になにかを残していくとしたら、ダメなことをダメというよりも正しい?いや正しそうな姿を見せつけることなのかもしれないと、そんなことを考えてしまいました。
たぶん、考えすぎかもしれません。ひとしきり反省いたします。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。ちょっと中途半端ですけどね、また何か感じたら書き留めたいと思います。
ではでは。本日もあなたにとって素敵な1日でありますように。