なんとなくブログに対しての気分が乗らない時に思うこと

さくら

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。四月から仕事に関しての研修を受けています。その影響かもしれませんが、ブログに対しての熱意みたいなものが足りない自分に気がつきました。そんなところを書き留めています。

かきたいとき

ブログを毎日更新したい、そんな気持ちがあるのですが実際更新しようとしてもなかなか書き進められないという現象になっています。これって、なにが原因なのか、この部分を自分で探り探り気持ちを整理してります。まぁ、いつもの感じです。


ブログの更新はリズムを取るのと似ていると自分では考えています。急に描きたくなるのではなくて、いつもの生活のパターンにブログを更新していく時間を埋め込んでいく、そんな感じです。だから、ブログを作る時間を作るといった感覚ではないのです。自分の場合は。

このことを考えると、これまでブログを更新してきた時間というのは、電車での時間でして、今月からその時間が若干なくなってしまい、どの時間に当て込んでいくのか、自分でも整理できていないのだなぁと考える部分もあります。

時間のせいか

これに気がつくと、自分の中のモヤモヤが少し整理できて、なんとなくですけどもホッとした気持ちにもなります。理由は、原因がわかったからです。この原因がわからないとモヤモヤは続き、その対処方法もわからぬまま、悩みスパイラルに陥ってしまうと、ちょっと心配でした。

とは言いつつ、時間のせいにしてよいのか、そんなところの僕の脇の甘さを考えたりします。そもそも僕にとってのブログは、自分を整理するための一つのツールであったはずで、それを時間が見受けられないからといって「ナシ」にしてよいのかという、自分との葛藤です。

実は、僕は自分に甘いところがあります。なんでも自分の気持ちに流されてしまうんです。これはマズイ気性であって、改善するにもどうにもクセがある部分です。人には誰でもクセがあるかもしれないけれど、良いクセと悪いクセならばどちらがというか、良い方が僕は好きです。

少し時間が必要

今回の場合はのクセは悪いクセなのだろうと、これまでの自分の経験から言えます。この部分と戦うというか、打開しなくてはと、そんなところを考えています。とは言え、これも自分の一部でしょうから、結構厄介なもので打開というか、うまく付き合っていくという表現の方がシックリきたりします。

この表現を一般的に、自分を受け入れるという、そんなところになると考えたりします。そう、どんな年齢になろうとも自分を受け入れるということはとても難しい。受け入れ難いという部分。自分の事を好きという表現と、自分のクセも好きという表現は必ずしも一致することはないと思う。

自分を管理する。これが自分にとっての向き合い方の一つだろう。結局、どんなに長くいきていこうとも一番ながい付き合いになるのは、自分でしかない。この部分は人生100年だとしたら、100年間自分と付き合うという、きってもきれない関係。言わば、複雑な関係だろう。そして、うまく付き合っていくには、時間が必要だろうと思う。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。

ではでは。本日もあなたにとって素敵な1日でありますように。

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