どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。色々な映画が始まっておりますが、そんな中、貞子が話題になっていたので、書き留めています。
理由
世界が尊敬する日本人100に選出された理由を考えてみますと、これは僕的な勝手な想像なんですけど、やはり人の恨みは消えない、そんなところからやってきているのだろうと考えております。貞子の怨念は深い、或いは、恨みは根深い、そんな感じに思っています。
昔、僕がリングやらせんを読んだ記憶から、確か、この怨念の正体はスーパーコンピュータのバグだった気がしています。あ、これは僕の拙い記憶ですので誤っているかもしれません。すみません。ただプログラムから実世界に出現したところは、その怨霊が発揮されているので、奇怪てきな存在であることは変わらないと思います。
20年ぐらい人を惹きつける怨霊とはいったいどんなものなのか?このように考えますと、映画の中の怖さもありますが、もしかしたら人の恐怖が伝染して、あたかも実在する人物のような存在になりつつあるのかもしれないと、ちょっと別の意味で怖さを感じます。
みたい
近日中に、新しい貞子の映画は始まるようですので鑑賞してみたいという気持ちがあります。ただ、本当に観に行くかはいまのところ不明です。怖いもの見たさというか、レンタルでもいいかなぁと少し思っている節もあるからです。
仮に鑑賞するとなれば、原作にも目を通したいところです。この映画を存分に味わうのであれば、やはり原作を感じていないと意味がわからなくなってしまいそうで、映像が文字の大切な描写を超えられれば良いのですが、そこのところ少し心配しています。
ただこの映画も中田監督が作られているとサイトを見て知りましたし、もしかしたら裏切ることがなく映像化されているのかもと期待をしています。やっぱり、独特の怖さが映像でもあると考えているので楽しみなところです。
こわい
本当に怖いことは何か?と考えますと、ダダよりも怖いものはないと同じように、人間が一番こわいのかもと想像しております。冷静に考えますと、人間の恨みというのはなかなか消えないと思うんです。僕も例外ではなくて、ずっと嫌いな人だっています。
もうね、嫌いな人とはこれから一生会いたくないとそれほど思います。ただ、貞子の場合は念力?がありますので、会いたくなくても気持ちが飛んでしまうのだろうと想像しています。たぶん、同じように人の気持ちだって電波していくのだろうとも思います。
ですから、単なる映画として貞子を見るのか、人の象徴として貞子を見るかでその感じ方も違ってくると思うのです。これも個人的な楽しみ方の一つになるかもしれませんので、それほど深く考えていませんが、僕としての結論は、これからも貞子は僕の中で「存在」し続けるのだろうと、ちょっと思います。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。関東では雨の朝です。すべりやすくなっておりますから、お気をつけくださいね。
ではでは。本日もあなたにとって素敵な1日でありますように。