豪快に肉を食べて思うこと

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。本日は肉を食べた時の感想です。

豪快に肉を食べ幸せに思う

昨日でしょうか、とあるお食事会で普段たべられないような美味しいお肉をいただきました。どうして、お肉を食べることでこんなにも幸せな気分になるんだろう、そんなことブログにしてみました。笑。

まず、豪快に肉を食らう。これほど肉好きにとって、生きている証明みたいな行動はあるのだろうか。そんな風に思います。ガッツリと食べるのではなくて、もう肉を食べるために生きてきた、そんな感覚で食らう。盲目的に食らうんです。

たぶん人間の本能に近いところ、そなんところがあって、そこのところの信号がガンガンに点滅しっぱないしの状態になるんだろうと勝手に想像しちゃっています。肉を食べる喜び。肉悦。

幸せってなんだろう

肉
そんな喜びというか、幸せをかみしめつつ食らっておりますと、人間の幸せってどんなことなのだろうと、哲学的に頭を駆け巡ってしまいましたよ。

例えば、宝くじに当選することを幸せと捉えてみても、実際、当選した方の「その後」を追ってみると、だいだい当選者が、人生の坂道をコロコロと転がりつくして、一家離散や骨肉の争いみたいなことに巻き込まれたりしていて、当選したことが幸せだったのか、それとも不幸のはじまりだったのか、そんなことも思うわけです。

簡単に考察すると、幸せは一変の出来事ではかることができない、そんな事を食らいながら思うのでした。まぁ、こんなことを考えながらですと、真に美味しくいただいたとは言い切れないと、思うところもありますが、やはり、肉悦にひたりつつ冷静になった自分もどこかにいたりして、そんなことも考えてしまったのですね。笑。

またふつうに過ごす

しかしながら、幸せって普通に過ごしている事を前提におもうことですから、あ、比較することがあって、幸せだなぁと感じると思うんです。そんな風にも感じています。

だから、あわてることなくふつうの生活をたんたんと過ごしていけば、どんな小さな出来事であったも幸せを感じる瞬間にであえるのかもしれない、そんな妄想もいだきました。笑。幸せの度合い感を大きくすることかもしれませんね。えぇ、想像です。

話を戻して、豪快に肉を食らうことで、頭のどこかの神経が活発になったのか、そんなことを考えながら噛みしめて食らっておりました。笑。思考的な幸せだったのかもしれませんね。

まだつぎの機会があれば、豪快に肉を食いにいきたいと思う出来事でした。美味しかった。笑。

本日もそんな感じです。いつもながらここまでお読みいただき誠にありがとうございます。本日はあめですね、運転されているかたとか、外出される方はお気をつけくださいね。良い一日を。

ではでは。

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