どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。先日、窪田正孝さん主演の『唐版 風の又三郎』を鑑賞してきましてね、その時の感想を書き留めたいと思います。ネタバレになりそうなので、今後鑑賞のご予定の方は見ないでくださいね。
メッセージ
なんとなくですけどね、ちょっと興味がありましたので鑑賞してきました。本当ならば、唐十郎氏を勉強してから鑑賞すべきだったかもしれません。僕はなんの知識もない状態で鑑賞してきまして、そんなところの感想なので、とても薄いものになっているかもしれません。そこのところ、寛大な御心で読んでいただければ幸いです。
ささやかな感想を書き留めたいと思います。あ、繰り返しですけど、これから鑑賞予定の方は、絶対にまだ読まないでくださいね。ネタバレかもしれないし、もしかしたら、僕の勝手な感想の影響で作品を素直な気持ちで見れなくなるのかもと、そんなところを気にしております。すみません。
で、話を戻しますと、僕の受け取ったメッセージは、「生きる上で読者でなくて主人公にいるべきだ」というものでしたよ。これは勝手な感想ですけど、僕が感じたのは本当です。そして、とても素晴らしい作品でした。笑。
まぁ、これも個人的な感想です。正直言うと、前半部分ですけど、劇中で描かれている世界観がまったくよく分からなかったんです。??がずっーとありました。だから、途中まで本当に疲れたんです。(関係者の方、もしこれを読まれていたらすみません。あ、いらっしゃらないと思いますが。念のため)
だけど、後半ぐらいから理解というか、頭の中で整理されてきた部分がありまして、テトリスでいっきにそろった感覚がありましてね、やっと理解というか世界観を認識できたんです。
社会の病気
ざっくりですけど、僕の理解度で表現すると人間の汚い部分と、どうしょうもない世の中の病理性、病んでいる社会を描いているんだろうなぁ的な、これも感覚ですけど、そんな描写がみえたんです。大袈裟ですけど、これが肝なんだ!と、その瞬間は思いました。僕は僕で道が拓けた感じがしたんです。本当に。
たぶん、僕は、前半部分を、劇中では一つ一つ重要な表現をあえてコミカルにサラッと描写されていたので、別々の描写として理解していようで、共通に流れている思想感というか、根本的に流れているメッセージを認識できないでいたようです。ぇえ。もしかしたら、意味不明なこといっているかもしれませんけど。。
これは、唐十郎氏という人物を熟知している方や演劇の玄人の方はすんなりと楽しめる世界が、『唐版 風の又三郎』にはあるのだろうと、見終わった後に、今更ながらに感じました。あ、素人的にです。上から目線にきこえましたら謝ります。すみません。
生きること
その中でも窪田正孝という役者は、素人目線ですけどね、スリスリと自然体で演技されている感がして、すごい人もいるもんだなぁって、感じてしまいました。そうですね、これから気になる演者さんになりましたよ。
そんな窪田氏が演じるものですから、前述したとおり、この病魔で犯された世の中を生きていく、どんなに人に騙されても、あるいは自分が汚い部分に屈服しても、自分は自分として、最後まで生き抜いていく、そんな姿を演じていましてね、ちょっとウルって感動いたしました。
そして、感動的なラストがありまして、最初に残した感想となったわけなんです。その瞬間を見たときは、心の垢がこぼれ落ちた感じがしました。あれはやっぱり舞台というか、あの瞬間にいないと感じられないものなんだろうと思っています。
最初は、なんとなくで鑑賞していたけど、良い意味で裏切ららた作品でした。鑑賞できて幸せでした。そんな印象を持てる舞台だしたよ。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。夜は寒くなりますね、どうぞご自愛ください。
ではでは。あたなにとって本日も素敵な1日になりますように。