ウォーキング・デッドを観てゾンビについて思うこと

電子レンジ

いまを幸せと感じる。いまを楽しむ。

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。僕は海外ドラマが好きでウォーキング・デッドを見ています。シーズン9はまだなのですが、そんなところを書き留めています。

ゾンビ

僕は海外ドラマが好きで、あ、わりとリアルなところがあるので日本のドラマより好きなんです。最近ではウォーキング・デッドとスーパーナチュラルが気に入っています。また、自分を分析しますと基本的にホラー系やゾンビ系の映画やドラマが好きな傾向になる様です。そんな僕です。


ゾンビ関連の映画やドラマがあると気になります。これは僕の中で、本当はゾンビが存在しているのだろうと、深層心理的に気持ちがあるのかもしれません。そして、不思議にも、仮にゾンビがいたとしてもその対処の方法を僕はドラマで学んでいます。そう、クビを。。頭を。。といった具合です。

そして、一番気をつけなければいけないこと、つまり「感染」してはいけない、噛まれていけない、ということ。もし噛まれたらその局部を切断して対処すること。そんなところです。だいだいこのゾンビルール?みたいなものは、どの映画やドラマでも踏襲されていると、僕は思っています。

存在する

ゾンビが存在するのかしないのか、それは不明です。むしろ存在しない方が幸せな世界が過ごせると思います。存在するのかもしれないという洗脳かもしれません。でも、脇道にそれますが、こうした映像でゾンビ映画や、或はコジラの映画などをみるたびに、緊急事態の対処方法を考えさせられます。

飛躍的に言ってしまうと、宇宙侵略的な映画やドラマもそうかもしれません。仮に宇宙から別次元の生物が侵略してきた時、どう対応すればよいのか、そんな感じです。その一つにゾンビ系の映画もドラマも準備段階の一つ?かなぁ、なんてたまに妄想したりします。

話はもどして、ゾンビ系の映画やドラマから学ぶことも多いと感じます。例えば、生きることへの喜びみたいなものです。あ、これはどっぷりとウォーキング・デッドにはまっている僕の感想なのであまり深い意味はありません。普通に生きれること、その喜びを感じる。これはウォーキング・デッドを他人事の様に思いながら見て思います。

妄想する

本当に妄想ですが、ウォーキング・デッドの世界が現実になった時、ゾンビになった方が幸せなのか、人間でいる方が幸せなのか、そんなところも考えたりします。今のところドラマを見る限り、人間の方が悩みや苦戦が多いのだろうと思います。もう意識なくしてゾンビ側にいた方が幸せというよりも気軽なのかもしれない、そんなところもあります。

冷静に現実世界に置き換えますと、わりとゾンビの様に生活というか、暮らしている人は多いのかもしれないと、僕もその中の1人なのかもしれないと、変なふうに考えしまうこともあります。つまり、僕らしさを楽しまないで毎日をなんとなく過ごしている自分です。

まぁ、これも考え過ぎなのかもしれませんが、毎日をわりとフアフアした感じでも、それなりに一生懸命生きること、それが大切なのだろうとこのゾンビ系の映画やドラマを観て思うところです。

だから、僕はいつも適当に生きているけど、目的がない生き方だなぁって反省もする日もあるけど、日々とりあえずは一生懸命に今を生きているから、それはそれで「いいんじゃねぇ」って、「まずはそれでOKだ」と勝手に思っています。そんなところかなぁ。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。週末ですね。乗り切りたいと思います。

ではでは。本日もみなさまにとってステキな1日でありますように。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA