三浦春馬主演の「罪と罰」を鑑賞して思うこと

罪と罰

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日、三浦春馬主演の罪と罰という舞台を見てきまして、そんな感想を書き留めています。

率直な感想

三連休の初日になんとか予定を合わせることができまして、今年初めのての舞台を鑑賞してまいりました。これから鑑賞予定の方は、もしかしてネタバレがあるかもしれないので、いや、それはないかもしれませんが、新鮮なお気持ちで鑑賞するのであればこちらのブログをお控えください。個人的な感想を書き留めています。


率直な感想としましては、「とても難しかった」という気持ちです。誤解を恐れずにお伝えしますと、演者さんの素晴らしい演技があったのはいうまでもありません。僕、正直にいうと、原作を読まずに鑑賞してしまったんです。これは失敗だったかもしれません。

もっともこの舞台を楽しむのであれば原作を読むべきであった、そして、物語の背景を熟知している必要があると思ってしまいました。もちろん、僕のように原作を知らずに鑑賞することもありだと思いますが、ちょっと難しいところもあるかもしれません。

罰の中の救い

そんな半端な僕が次に抱いた感想としては、「罪の中にある救い」でした。あー、もう少し別の言い方で言いますと、どんな罪を犯してもそこにはなんらかの「救い」があるのではないか、という感想なんです。世の中が罪に対して寛容なのかはその時々ですが、救いがあることに救われる。そんな印象です。

もしかしたら、もっと背景を熟知していたのであれば別の感想が湧いてきたかもしれませんね。物語自体がとても哲学的なものでしたから、セリフの言い回しやそのものがとても難解であった気がいたします。そうですね、全般的にメッセージの強い作品だった印象です。

こういった物語を現代風に当てはめるとどう考えるべきなのか?そんなところも考えてしまいます。つまり、例えば、水戸黄門や時代劇も現代の風刺を背景に作られているといった考えです。突き詰めると、何が幸せでそうでないのかといった形がないものに答えがあるように思います。

学ぶこと

ちょっと別の感想に移りますと、三浦春馬がかっこよくて刺激を受けたという点です。あ、これは演者さんとしてです。もちろん、別の演者さんも本当に全身全霊で役になりきっているという、何か魂の表現的なものを感じることができました。

僕はこういった機会から何を学ぶ必要があるのか?そんなところもきになったりします。まぁ、そんなに学ぶなんてことをしなくてもいいのかもしれません。ただ、なんとなく自分の中でまとめてみたい感じがするのです。

そんな学びについてですが、いまのところ、「自分を素直に受け入れることが最初の一歩なのだろう」とそんなところです。シンプルかもしれません。あの舞台の主人公も自分自身で悩んでいた気がします。それを自分に重ね合わせるとこの結論になったしまいました。多くの意味で刺激を受けた作品だったことは間違いありません。鑑賞してよかったです。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。連休二日目ですね。天気も良いですし、ステキな1日をお過ごしくださいね。

ではでは。

SNSでもご購読できます。

コメントを残す

*

CAPTCHA