僕の中の宇宙観を考えてみた

満月

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。こうしてぼーっと休日を過ごしますと、色々なことを考えてしまいます。そんな時に考えてみて、いや、浮かんできた僕の中の宇宙観について書き留めたいと思います。

ただあるだけ

年末のこのクリスマスあたりでしょうか?ぼーっと一人で色々なことを考えていますと、やはり、休日はいいなぁと思う時があります。のんびりとですね、こうして何も考えて言うようでそれほど考えていない、そんな瞬間が好きなんです。


たまに僕の中で浮かんでは消えてまた浮かんで無くなってしまう、綿あめのような僕の宇宙観がただよい始めたので、この瞬間に書き留めたいと思います。ただ内容はそれほどありませんし、とても個人的なものになるかもしれません、ほんの一瞬ですが今の僕の軌跡になるかもしれません。そんなメモ的なところです。

壮大なことを言ってしまいましたが、繰り返すと内容はありません。僕の宇宙観、それはただそこにあるだけの現象が繰り広げられている。そんな感じです。こうして止まっていても、目の前では車が動いたり人が歩いたりしています。ただそうしているだけで何かの映像が映画のように僕の目のスクリーンに映し出されているだけ、そんな感情を覚えます。

日常は意味のない、物事の連続で流れていると思うのです。ただの連続です。点が重なっているだけなんだろーと。点ですからね、気持ち次第でワープができます。もしかして、これがパラレルワールド的な思想の入り口なのかもしれません。

色をつける

ちょっと話が飛躍しすぎましてので、少し戻します。僕が思うのは、物事はただ川の流れのように流れていますが、それに意味をつけているのは、それをみた個人なんだろうなぁってところです。つまり、目の前で起こっている現状というか出来事については、それほど意味はないけども、それをみた自分が何かしらの意味をつけている、そんなところなんです。

だから、悲しい意味をつければそうなるでしょうし、楽しい出来事だと意味づけをすれば楽しい出来事として記憶にとどまるのだろうと、そんなとこです。ある人には、その出来事はとても悲しいことだけですが、また別の人にとっては幸せなことだったりする。そういうことの繰り返しで世の中は成り立っていると、想像しているんです。

ただ、この証明というか、真の理解をするにはまだ早すぎるし、それを体験していくのが、僕のこれからの人生のような気がいたします。手を伸ばせば掴めそうで掴めない。掴んだとしてもファッと消えて無くなってしまう。答えは簡単に入るものではないから、面白いのかもしれません。この無駄の中にあるような時間の中で、本当の理解を探し求めてるつつ、それを見つけようと力みしすぎると消えて無くなってしまうもの、そんな気がいたします。

自由

僕は、これから懸念というか、科学が発展して心配なところがあります。それは思考の自由が侵されはしないか、という点です。憲法で保障されている概念に良心の自由、思考の自由があると思います。科学が発展しますと、あ、これは僕的な考えですが、人間の特殊に体から吐き出させる匂いみたいなものを嗅ぎ分けることができると思うんですよね、これから科学が発展するとですよ。

そうした時、人間が頭の中で妄想している時の匂い?なんかも判別できてしまう技術なんかもできる気がしています。だから、ある種の妄想をしている人の区分もできてしまう。よって、思考の自由を侵されてしまうという結論です。笑。もしかして、考え過ぎかもしれません。ただ、そんな妄想も現実になるのかもしれません。わかりませんが。

自由というのは、とても解放された気がいたしますが、色々制約があったりもします。検索だって検索という概念がないと何を検索しても良いのかわからない、そんなことも言えるからです。こういうことを考えるとグーグルで検索することも自由のようで、実はその裏に制約があるのかもしれません。そんなことを気にしてしまいました。

僕はこうした自分の思考を大切にしたいと考えています。すべて妄想ですが、これが僕の一部なのかもしれません。あー、そんなことをぼーっと考えてしまいました。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。素敵なクリスマスとをお過ごしくださいね。

ではでは。

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