ナカイの窓で「ウレルカモの窓」を見て、面白かった思う理由

ティー

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。昨日、ナカイの窓で「ウレルカモの窓」をやっていまして、再ブレイクできるかどうかをテーマで、かつてブレイクしていた芸能人についてイジる放送をやっていました。ちょっと見てしまった感想です。

すきなもの

まぁ、たまにナカイの窓は見るのですが、それほど詳しくはありません。ちょっと面白かったので昨日は見入ってしまいました。なんかとても面白かったので記憶に残る番組でした。ただたんに、かつて一世風靡した芸能人をイジるという番組なのに、惹かれた部分を書き留めたいと思います。


途中からみましたので、その全容はわからないのですが、僕が見た感想として、どの芸能人も形を変えているけど「相変わらずやりたいことをやっているなぁ」という、それだけの感想です。えぇ。転じて、自分のやりたいことを追求しまくることが、面白い人生を過ごすことのヒントなのかもと考えたのです。

もうね、人から言われたことやたりたくないことなんて、やれる時間はないし、まして苦痛なのだと思うのです。だから、自分のやりたいこと、それをトコトンやり通す、これが一番道理なのかと思うんです。ただ、もちろん、人に迷惑をかけない、無理をしない、自分が楽しむ。そういったラインはあると思うのですけどね。

みたいもの

これは僕だけに限ったことかもしれないけど、自分の見ている出来事は、自分のフィルターを通して意味付けなんかをしていると思うんですよね。今日のブログにしてもそうです。こしてブログを更新してますけど、僕が勝手に思ったことを書いて、適当にいっているわけですから、これは真実だと思います。

こうしたことから、自分の見たい世界を自分で作り出しているようにも思うんです。だから、いつも同じ失敗や悩み、そして自分を責めたり楽しんだりします。たぶん、その繰り返しです。繰り返しかあり得ないと思うんですよね。だって、フィルターが変わらないのだから、自分の見たいように見ているものを見ているわけですから。

なんか意味不明な事を書いてしまっていますが、表現したいのは、んー、つまり、フィルターには自分のクセみたいなものがあるから、結局、いつも同じ悩みの繰り返しになるのは当然なんだ、とうところです。或は、自分が好きで悩んでいるとも言えるかもしれません。全ての出来事に対して、意味付けをしているのは自分だからです。

時期を待つ

話を少し戻しまして、昨日出演していた芸人さんはやりたい事を追求しまくっていると、僕は感想を持ちましてね、やっぱり、それが一番わかりやすい生き方なのかなぁと、適当に勝手にですけどね、考えたわけなんです。

あ、これはその芸人の方のやっていることを肯定する意味ではなくて、見ていて感じたレベルで、しかも僕みたいなど素人が言うことではないですけど、姿勢に感動したというか、自分の道を貫いているというか、そんな印象をもって、そこの部分はあやかりたいと感じたんです。

戦っているなぁと。すごいなあぁと感じたんです。自分の中にあるもので勝負しているなぁ、そんなところ自分もマネしてみたい、そんな感じです。上から目線になっていたら申し訳なく、そんな風にも考えいません。おふざけの内容でしたけど、そんな目線で番組を見ておりました。

まぁ、変なふうにまとめますと、いろんな意味で僕の窓が開いた?そんな番組でした。とても面白かったです。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。週の真ん中なを過ぎましたね。寒さが厳しいですがご自愛くださいね。

ではでは。ステキな1日をお過ごしください。

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