下り坂と上り坂とまさかという坂について

チョーヤ

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。それなりに生活をしていますと、色んな出来事に出くわすことがあります。本日はそんなところ書いています。

まさか

ほんとね、自分の考えていたことを、そうですね、想像してしていたことを全て掻き消してしまうことがたまにあります。それは、「まさか」という坂?なのかもしれません。僕のようになんとなく、生きていても、下り坂、上り坂、そして、まさかという坂を感じることがあるのです。


それはもう対処の方法がないと言えるかもしれません。唯一、それに対抗?いや対処できるとしたら、自分の考えでは無理かもしれないけど、謙虚に生きてきた結果がそこに影響してくるのだろうと、想像しているんです。つまり、おかげさま的な考え方です。

まさかの例としては、天災とか地震とかそんなあたりだと思います。何かの調査で、地震がきても自分は大丈夫と考えている人が多いと見聞きしたことがあります。僕もそんな感じがします。自分は、なんとか乗り切れる、大きな災害に巻き込まれることなんてないんだって。でも現実はそうでないのかもしれませんよね。笑。そこにまさかがあると思います。

運なのか

運なのか、そう考えると運なのかもしれません。たぶん、こんなことが起きるなんて、そんな瞬間ですから。とは言え、そんなところに気をつけてビクビクと生きているよりは、毎日を楽しくすごしたいものです。まぁ、ここで僕が色んなところから見聞きした生き方みたいのをサラッとまとめてみたいと思います。

まぁ、自分で整理するってことでブログを進めてみますね。結論から言うと、僕はこの世の中は、それほど細かくはないプログラムみたいな感じに作られているとおもうんです。とても機械的に動いているプログラムです。つまり、目には目を。殴ったら殴られる、因果応報。そんなところです。

だから、このプログラムを生きるには、仕組みさえ知っていればいいのだろう、そんな気持ちです。あ、軽く読んでくださいね。重く読むと一気に気持ちも重くなります。あ話はそれますが、とても重要なことはシンプルなんだと思うからです。気持ちもシンプルにした方がいいかもしれません。これは僕が自分にいつも言い聞かせていることでもありますけどね。

おかげさま

で、話を戻しますね。つまるところ、人に優しく生きていけばいいのかもしれない、そんな考え方です。なんだ、そんなことかと思いますが、そう簡単なことなのだと思います。難しく考えるととても難しくなります。究極に人に優しくすることで生きようとすると、どうなるか考えてみました。

たぶん、今の僕にはそこまでの領域にはいっていないかもしれないけど、ざっくり言うと、目の前にいる人の幸せを祈る、そんなところなんだと思います。目の前の人、一緒にいる人かもしれませんが、電車に乗って目の前に座った他人かもしれません。そんな優しさというか、洗練された心の持ちようなのかもしれません。適当に言ってますけどね。笑。

無性の愛、アガペ、慈悲の心。なんとでも言葉の表現はあるかと思いますが、例えば、人が転ぼうとするときに無意識に手を指し伸ばしてしまう、そんな心の持ちようなのだろうと、考えいます。そんな生き方をすれば、まさかにあっても逆にまさかの展開がまっているのかもしれない、そんな妄想をしております。

なんとなくそんなことを考えましてね、ブログにしてしまいました。笑。ちょっと強引に書いてしまった感があります。何かの機会に今一度整理して書きたいと思います。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。最近はとても寒い日が続きますね。どうぞご自愛くださいね。

ではでは。ステキな1日をお過ごしください。

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