どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。土曜にゆっくりと、ぼっーとしてますと頭を色んなことが流れていきますね。そこんところ書き留めています。
ゆとりは必要
個人的に思うのですが、ゆとりは必要だと考えているんです。物事をじっくりと考えるというか、イメージというか、形式にとらわれないで具体的に進めていく力みたいなもの、たぶん、努力の中では産まれなそうと感じるんですよね。これ。でも本当のところはわかりません。ただそう思います。
だからって、努力することを否定しているのではないんです。努力はどんな時でも必要だと個人的に考えいます。ただ、その努力といわれるものが、楽しい努力か、辛く本当に必要な努力なのか、むしろ、努力を努力と考えないでとことん深いところまでステージをあげることが、一番手っ取り早いのかもなぁ、と思うのです。
つまり、そのレベルだと努力とはいわず、たぶん、遊びみたいな表現になるのだろうなぁと考えるんですけどね。まぁ、自分が楽しいことはとことんやってしまうし、それを他人が見て努力していると評価するのかしないのか、そんなところかもしれません。ただ、スポ根みたいな努力も時には必要だけど、常に根性が必要ではないのだろうと、そんなことを思っています。
戦いは常にある
思ったことをこうして適当に書きまくっているのは、僕の中のストレス解消なのかもしれないですけど、止めど目なく、今はこうしてブログとして形に残しておきたいと思っているんです。だから、また理由もない適当なことを書いてしまっています。そんな僕にお付き合いいただき、感謝しかございません。
ちょっと道筋がそれましたが、人生は戦いの繰り返しなのだと思うところがあります。あ、これは戦争とかではなくて、いや、もしかしたらそうかもしれないけど、言いたいのは、1番とか2番とか勝者がいて敗者も存在するということなんです。みんなが1番ではないと、競争原理は常にあると、勝つ人と負ける人がいること、これは大事なだなぁと思っています。
僕もなんとなく生きている人間ですが、やっぱり何かに勝ちたいですね。たぶん、そういう性分なのだと思います。ただ何に勝つか?ここがとても大切にしたいところです。勝者はいなく、横並びにしてしまうこと、それはとても残酷な人生です。たぶん、結論的に、生き残ることが人間の本性だと思うからです。
僕らしさ
ゆとりは大切だろう、という話に戻りますが、これは想像なんですけどね、今、勝ち組と言われている人は、たぶん、自分らしさを極めることを起点として、ただその行動を起こしているのだろうと思うのです。っていうか、いまごろそんなことを考えています。
だから、すでに土俵がちがうんだろう、こんな感じです。自分らしさって何か?それを見つけることに時間がかかるかもしれないけど、自分の好きなことで勝負をしている、そう言った方がわかりやすいかも。努力は自分が嫌いなことも、我慢することが良しとされるから、そこは違うような気がするんです。
まぁ、そうおもったからどうしたのか?そんな感じも自分で思います。ただ、自分らしさの追求は諦めずにやっていこう、そんな気になっているんです。あ、でも諦めるかもしれないけど。笑。みんなと違うことは、そもそも当たり前なんだ、そんなことも考えています。
ちょっと夜にブログを更新したので、感情的なところ出てる内容となってしまった感もありますね。笑。
本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。良い週末をお過ごしくださいね。
ではでは。