facebookの付き合い方について考えてみた

カメダ珈琲

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。Facebookをみますと色々な人がいて、楽しい反面、そうでないときもあります。そんなことを留めてみました。

良い時とそうでない時

Facebookをみますとね、色んな人がいると思うのですが、やっぱり心が痛むことがあります。まぁ、自分が楽しい時は、そうですね、楽しいというか、心が落ち着いている時とでも言った方がいいのかもしれませんが、相手の投稿をみて喜べる時とそうでない時がありからです。


この結論は、そもそもなんでfacebookをやるのか、という問題提起的なところと、それ楽しいですか?という部分があると思います。楽しいものはずっと続いてくという、結構的を得ている答えもありますが、僕はもうそろそろfacebookに飽きてきた、そんな部分もあります。

この付き合い方は、薄く長くそれなりに距離を置いて活用していく、そんな流れが今のところよいのかなぁ、なんて考えているところです。facabookは、いいね!至上主義ですから、ここところを履き違えてしまうと、いろんな面で怪我をしてしまうのではと、そんなところ考えてるんです。

経験というところ

入り口は楽しそうだから、みんながやっているし自分も楽しみたい、そんな感じで登録したような気がしています。あ、これは自分が登録した理由です。実際、登録当初はとても楽しかったように思います。ただ、この楽しいが曲者というか、なんとかいうか、楽しさにも努力がいることがわかります。

まぁ、そんな投稿するようなネタもなかったりすれば、楽しさも半減するわけです。結局、このfacebookは、その人の最高の瞬間を投稿される場面が多いと思いますので、あ、これは全てではなくてそのような傾向があるのでは?という自分の見解ですよ、で、最高の瞬間を気持ちが乗らない時にみたりすると心が少し痛くなる時もあります。

生活をしていく上で、人には、何かに対する距離感や全体を見わたせるバランス感みたいなもが、ときたま大切になったりすると考えるところがあるのですが、まさにこのfacebookについてもそうかなぁ、なんて考えております。ただ、これも使い方でビジネスとして使っている人は、やり方もちょっと違うのかもしれません。

自分のペースだろう

ビジネスで使う人は、その方々の日頃の成果を報告されている場面を多く見かけます、実際、それがSNSの使い方でOKなところだと思います。ただこれも僕のような斜めでみてしまうとするならば、成功例だけ投稿し続けなけらればならない縛りがあったりするのではと、思ってしまうのです。

あくまで個人的な見解ですので、そんな感じなのかなぁと受け流していただけると助かるのですが。。個人レベルで拡散できる宣伝方法の一つなんだろう、と思うのです。人って、一つ何かをみますとそこから色々なことを想像します。妄想ですから、実際の本当の部分はわからないけど、自分の解釈をつけてしいますから。そこが怖いなぁって。

とはいってもこの解釈の付け方も自分もそうなわけで、こうしてブログに書いていることも、たんなる僕が勝手にいっていることだから、なんでもかんでもSNSって良い部分だけでなくてその裏側も十分理解しないと、自分が疲れてしまうなぁ、なんて感じています。今更ですけどね。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。関東では曇りの朝を迎えております。みなさまもどうぞステキな1日をお過ごしくださいね。

ではでは。

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