マツコデラックスが好きな理由

ファイヤ

どうも、こんにちは。本日もこちらにお越しいただきまして誠にありがとうございます。
またまた適当な感じをブログにしちゃいました。ほぼほぼマツコデラックスの番組を好んで見ています。その理由を考えてみました。

普通の人だか普通じゃない

端的に言うと、僕はマツコデラックスが好きです。これがシンプルな答えだと思う。だから、これからダラダラと書いてしまうのは、そんな視点から描いたことであるから、色がかかっていると言える。なんでそんなにおもってしまうのだろう、だぶん、それは理由なき好きだからかもしれない。


ただこの感情は、恋愛でなくて人間観が好きという感じです。もしかして、当人が演者として演じているところからくる感情かもしれないけど、それはそれでいいと思うし、であるならば最後まで演じきって欲しい。なんだろう、いまのままでいて欲しいと願う。

あぁ、この人は本当の事をいっているのだろう、画面から伝わってくるその人間観。極めて常識的なことを言っている、そんな姿がいい。ただ、容姿は普通じゃない。たぶん、これは、人間のキワを過ごされてきた?そこから導きだされている言葉なのだろうと、個人的に考えています。えぇ。

真実を語る人

ネットの世界は、ある事なす事に煙を出す人たちが存在しているけど、見ていて飽きてしまう。もっとらしい言葉をかざして、それがあたかも常識であるかのように巧みに言葉を操る人々に何が本当のことなのか、忘れてしまう感じもする。あ、これも個人的にですからね。

たぶんそれが演じることなのかもしれない、人に注目されるには色々と方法があるかもしれないけど、どうせならば好印象でい続けたい。だけど、その逆説的な印象の与え方は諸刃の剣のようにおもう。まぁ、誰も得しない割合が高いだろうと思う。

そんなか中でマツコデラックスは本当のことを語っているんじゃやないかと思っている。まぁ、繰り返すけど、演じている部分もあるかもしれないけど、そう僕は信じていたい。ただ、当人は普通でいるんじゃないだろうか、素ででているから惹かれる部分も大きいと思うんですよね。笑。

本心なんだろう

きっと本心だろう、そう信じたい。この信じたい部分に、「僕もそうおもっているんですけど、なかなか言えない、そんな自分がいるんです!」そう言った僕の個人的な意味もふくまれているかもしれない。そう、僕は小心者だから、人に対して本当の気持ちをつたられない。から一層そう思うのかも。

マツコデラックスという人間について、どう語ろうか、そのように最初におもったけど、結構書くことができている、というか、もっと書けそうな気がする。これも毎日テレビでみているからかもしれない、影響され過ぎだろうなぁ、きっと。笑。

マツコデラックスは一代で終わってしまう。この現実もいつか受け止める時がくるかもしれない。後継者はいないだろう、出現もしてこないかもしれない。最初があると必ず終わりがある。浮き沈みが激しい芸能界かもしれないけど、これからもずっと見ていたい、そんな存在です。僕にとって。笑。

本日はそんな感じです。ここまでお読みいただきまして誠にありがとうございます。暖かい週末になりそうですね。ステキな1日をお過ごしくださいね。

ではでは。

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